うっちー徒然
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こんばんは。逢坂です。
エンエンと商業誌用のカラーを描いております。
ふうう;時間がかかるなあ…;
今日中のUPは無理かしら;
…で、そろそろ逢坂的な「脱ぐえろ<着るえろ」の
根拠を述べてもいいかなあ、と。
とは言え、BBSで頂いたご意見とけっこう被っても
いますので、我ながら今更感が漂ってたりしています。
で、今更ついでに、
「脱ぎが・えろくない」と思ってるわけでは
ありませんので念のため(^^;)
あくまでも比較対象、そしてそうとう頭でっかちな理由で
自分は「着る派」だと思ったわけです。
その根拠は、おおまかに分類してふたつ、あります。
-------------------------------
根拠1:裸(脱いだ状態)→着衣(着た状態)への移行、とは
「素の個人」→「社会性を帯びた状態」であること。
BBSでもいくつかご意見頂きましたが、戦闘服とかスーツとかは
なにがしかの「社会的な物語」を負っています。
たとえば、「鎧甲冑→王」「スーツ→ビジネスマン」というような、
その服装が喚起させるイメージを、着た個人が纏うわけです。
となると、その、「纏った物語(イメージ)が呼び起こすイメージ」という
波及性というか、倍々ゲームというか、
「乗算効果」が生まれるのです。
例えば、「王」の物語…高貴・気品・勇壮・戴冠・流浪の旅(^^;)とか
「ビジネスマン」の物語…知的・冷静・仕事・交渉・アフター5、とか、
その物語を構成する様々な要素(アイテム)が芋蔓式に連想されますよね。
そして、そのアイテムに召還された妄想(想像力)が生まれる。
つまりはエロス。エロス要素の連鎖、となるのではないかと。
対して、「裸の素の個人」はあくまでも「素の個人」ぶんの
エロスしかない、わけですから、量的にコレは前者の勝ちかな、と…。
逆に、「脱がせるエロス」というのは、
脱がせる対象が(やはり異性の前なので)
なにかしらの羞恥を感じている、その緊張が伝わってくる…といった
要素に加えて、上で述べたのとは逆のベクトルが働くからかと思います。
「個人がまとった社会性がはぎ取られる」
「素の個人(そのひとの正体)が暴かれる」という意外性や発見が
その際のエロスである…ということになりますか。
特に「暴く」という点においては、
●相手が自ら、さらりと脱ぐ、のと
●自分の命令で相手を脱がせる、のとでは
エロスの量も質もかなり変容するでしょう。
意外性や発見に加えて、支配欲や全能感も満たされるのですから。
で、あくまでも比較対照として、
どちらかと言うと「直情型」の男性諸子は、
こっちの方がえろい、と感じるのかも知れません。
けれど、妄想(物語)に生き、萌え(エロス)に死ぬ(^^;)
オタク性の顕著な男性や腐女子は、その限りではないだろうな、と思います。
メイドカフェ通いが好きなひとは、
「メイド」という物語的なものに萌えているわけで、
メイド役の女の子がメイド服を脱いだとしたら、
それはそれで嬉しいでしょうが、やはり多少、幻想が剥がれて
萎えるところもあるのではないかと、
門外漢ながら予想します。
(…例出しついでに、「執事カフェ」に通うひとの場合は
どうなのだろう。執事萌え、というよりは
「執事役のイケメンに大切にもてなしてもらえる・心地よさや高揚感」という
要素がキモかと思うので、メイド萌えのそれとは
また少し、質が違うのではないかなぁ…?
まあ、どちらにも行ったこともないし、
よほど好奇心がうずかない限り、この先行くこともないでしょうが)
以上、長々と書いてしまいましたが、ひとことで言うと、「着るエロス」とは、
「コスプレ的なエロス」
だということです。
設問をシンプルにしたかったので、
例題のシチュエーションを限定しなかったため、
皆様の様々な物語(コスプレ的イメージ)を伺えまして、本当に楽しかったです。
いま一度、深くお礼申し上げます。
…で、えらい長くなりましたので、もうひとつの
根拠2、はについてはまた来日(^^)/~~~
エンエンと商業誌用のカラーを描いております。
ふうう;時間がかかるなあ…;
今日中のUPは無理かしら;
…で、そろそろ逢坂的な「脱ぐえろ<着るえろ」の
根拠を述べてもいいかなあ、と。
とは言え、BBSで頂いたご意見とけっこう被っても
いますので、我ながら今更感が漂ってたりしています。
で、今更ついでに、
「脱ぎが・えろくない」と思ってるわけでは
ありませんので念のため(^^;)
あくまでも比較対象、そしてそうとう頭でっかちな理由で
自分は「着る派」だと思ったわけです。
その根拠は、おおまかに分類してふたつ、あります。
-------------------------------
根拠1:裸(脱いだ状態)→着衣(着た状態)への移行、とは
「素の個人」→「社会性を帯びた状態」であること。
BBSでもいくつかご意見頂きましたが、戦闘服とかスーツとかは
なにがしかの「社会的な物語」を負っています。
たとえば、「鎧甲冑→王」「スーツ→ビジネスマン」というような、
その服装が喚起させるイメージを、着た個人が纏うわけです。
となると、その、「纏った物語(イメージ)が呼び起こすイメージ」という
波及性というか、倍々ゲームというか、
「乗算効果」が生まれるのです。
例えば、「王」の物語…高貴・気品・勇壮・戴冠・流浪の旅(^^;)とか
「ビジネスマン」の物語…知的・冷静・仕事・交渉・アフター5、とか、
その物語を構成する様々な要素(アイテム)が芋蔓式に連想されますよね。
そして、そのアイテムに召還された妄想(想像力)が生まれる。
つまりはエロス。エロス要素の連鎖、となるのではないかと。
対して、「裸の素の個人」はあくまでも「素の個人」ぶんの
エロスしかない、わけですから、量的にコレは前者の勝ちかな、と…。
逆に、「脱がせるエロス」というのは、
脱がせる対象が(やはり異性の前なので)
なにかしらの羞恥を感じている、その緊張が伝わってくる…といった
要素に加えて、上で述べたのとは逆のベクトルが働くからかと思います。
「個人がまとった社会性がはぎ取られる」
「素の個人(そのひとの正体)が暴かれる」という意外性や発見が
その際のエロスである…ということになりますか。
特に「暴く」という点においては、
●相手が自ら、さらりと脱ぐ、のと
●自分の命令で相手を脱がせる、のとでは
エロスの量も質もかなり変容するでしょう。
意外性や発見に加えて、支配欲や全能感も満たされるのですから。
で、あくまでも比較対照として、
どちらかと言うと「直情型」の男性諸子は、
こっちの方がえろい、と感じるのかも知れません。
けれど、妄想(物語)に生き、萌え(エロス)に死ぬ(^^;)
オタク性の顕著な男性や腐女子は、その限りではないだろうな、と思います。
メイドカフェ通いが好きなひとは、
「メイド」という物語的なものに萌えているわけで、
メイド役の女の子がメイド服を脱いだとしたら、
それはそれで嬉しいでしょうが、やはり多少、幻想が剥がれて
萎えるところもあるのではないかと、
門外漢ながら予想します。
(…例出しついでに、「執事カフェ」に通うひとの場合は
どうなのだろう。執事萌え、というよりは
「執事役のイケメンに大切にもてなしてもらえる・心地よさや高揚感」という
要素がキモかと思うので、メイド萌えのそれとは
また少し、質が違うのではないかなぁ…?
まあ、どちらにも行ったこともないし、
よほど好奇心がうずかない限り、この先行くこともないでしょうが)
以上、長々と書いてしまいましたが、ひとことで言うと、「着るエロス」とは、
「コスプレ的なエロス」
だということです。
設問をシンプルにしたかったので、
例題のシチュエーションを限定しなかったため、
皆様の様々な物語(コスプレ的イメージ)を伺えまして、本当に楽しかったです。
いま一度、深くお礼申し上げます。
…で、えらい長くなりましたので、もうひとつの
根拠2、はについてはまた来日(^^)/~~~
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逢坂みや
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非公開
職業:
マンガ描き
自己紹介:
BL・レディース誌でお仕事中。
最近はもう「何でも描きます屋」となりつつあるも、「何を書いても腐女子」スメル漂い中。
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