うっちー徒然
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こんにちは。逢坂です。
今日はしのつく雨天でして、つい家に引きこもってしまって
久々にRSSでネット徘徊してましたら、面白い記事に当たりました。
◎正しい女の子のほめ方
記事対象は男性管理職っぽい、という点を抜きにしても
なかなか納得がゆく内容でした。
で、それとは別に、「誉める」「誉められる」ということについて
以前から少々、思っていたことなど。
懐かしい、そしてちょっとアレな言葉ですが、
「豚もおだてりゃ木に登る」てのがありますよね。
私はそれってなかなか金言だと思いますし、
イマドキの子供には「誉めて育てろ」というのが原則なのだそうですが
肝心の「育てる側」(30代~40代くらいの世代)には
ちょっと難しい注文なのだろうな、と思うことがしばしばあります。
だって、育てる側の世代って、誉められて育てられた訳じゃないから。
むしろその頃の社会はまだ「やれて当たり前」だと見なす傾向が
大半だったでしょうから、そいういう視線に晒されて
鍛えられて来たひとたちが、今の親となり、教師となり、
指導者となって来たのだと思うのです。
先日、ある知人と話してた際、内容が家族のことになり
「うちの母親は、私が学年トップの成績を取ってきても絶対に誉めないひとだった」と知人が言うので、
「いや実はウチの親もその傾向が」と苦笑いしながら私も同意。
なんか私の知人って、そういう人が多いんですよね。
そしてどの知人も、そのほとんどが女性ですが、
頭がよくて聡明な「できる人」だったりしてます。
そして多分、親や周囲に「できて当たり前=できても別に誉められなかった」
人たちであるような気がします。
(ちなみに知人のご母堂がなぜ誉めなかったか、というと
「誉めるとこの子は増長する」と警戒していたのだとか)
だから(多少偏見が入りますが)
その親御さんも、高度経済成長期の日本、という背景も含めて「できる人」
もしくはうちの母親みたく、生活が決して楽ではなかったから
「やらざるを得なかったひと(そしてできてしまった人)」
なのだろうと思います。
で、「できる人」から見ると
(多分、そのお子さん等も含めて)
「(まだ)できない人」に対しての視線って結構厳しかったりするんです。
本人のレベルが「できて当たり前」のラインにあるので、
「できない人」は怠けてるとか甘えてるとか、
できないならできるようになるまで努力するべきだ、とか。
自分も以前はそのように考える人間でしたが、
これもある知人から、
「いや、【できる】ということも、【努力】というのも
ある種の才能の範疇のことで、世の中には、
ほんとうにできない人、努力する才能もないひと、というのも
存在してるんだよ」
と聞かされて、ちょっと目からウロコが落ちたと言いますか。
考えてみれば、世の中のシステムじたいが
「できる人」が自分や自分の周囲基準でつくり上げた、
「できる、ということが前提のシステム」な点が多々あって、
もちろん今時としては、、マイノリティの方々が
抗議や参画の声を上げいることもあり、以前ほど硬直してはいない…はずですが。
本音のところは、そうじゃないよね。
というのも、声を上げるひとも含めて
世の中の大半が、やはり「できるひと」でしょうから。
(声をあげられる、意見が言える、というのも十分「できる」範囲のことです)
でも。「できるひと」だっていつもできる訳じゃない。
失敗したり失業したり病気になったり、と当人を巡る状況はいろいろ変わります。
そういう時に、周囲や社会が相変わらず「できて当たり前」だと見なしてたり
本人も「私はできるはず」だと思いこんで無理とかしたら
間違いなくよい結果は生まれないと思うしな。
そういう「できて当たり前=できるのが普通=できても誉められない連鎖」
ってゆうのは案外と呪いのよーに(^^;)
続いてゆくものじゃないのかな。
よく俗説に、「愛されなければ、愛せない」とか言いますが、
その俗説が真だと仮定すると、
「誉められなければ、誉めることができない」という
連鎖にも繋がると思いますし。
(ウチの親なんか結構その典型ですのですごく真実味があります)
もちろん自分は、なんでもかんでも「誉めろ」といってるわけでもないし
(「なんでもかんでも誉めてー!」と言いたいわけでも…ちょっとはあるけど;)
できないひとならできないなりに、その人なりの「負荷」は
その人の成長において絶対に必要だと思っています。
(やっぱり、1しかできなかったものが2できるようになる、というのは
嬉しいことですしね)
けれど。「できる人」にちょっとだけ意識して欲しいんですよね。
できる人は、自分以外の他者に対しても「できるはずだ」と
無意識に期待してる、ということ。
そして他者が、期待に反してできなかったりした場合、
なぜか裏切られた気持ちになって
むやみに怒ったり落胆したりしてしまう…
言葉はとても悪いのですが、「その勝手さ」的な要素のことを。
そういうのって、他者は辛いし、自分も疲れるじゃないですか。
むしろ基本的には、誉めたり誉められたり、という連鎖の方が
楽しいと思うし、物事も人生も、楽しくなければ
発展もしないし続けられないのでは、と思ったりもするのです。
…なんか今日は説教臭いというか;
もしくは「できない逢坂」の言い訳めいた言動ですいませんです;
それにしても、上記の記事を読んで、
「誉められない」ということについては、女性よりも男性の方が
きつい現状にあるのかな?とも思います。
ヘテロの男同士って、何というか…コレは私の勝手な思いこみですが、
どうも生物学的(本能的?)に
「メスを巡る闘争相手」という立ち位置にあるので、
誉めたり誉められたり、という関係性からは本能的に遠い気がするんです。
(同性を倒してメスをゲットしないと自分の遺伝子が残せないわけですし)
だから、男性って、女性に誉められるより、同性に誉められて認められた方が
多分数倍、嬉しいものなんじゃないかな…と
いよいよ考えがまとまらなくなって来ましたので
本日のタワゴトはこの辺で。
ではでは、また(^^)/~~~
今日はしのつく雨天でして、つい家に引きこもってしまって
久々にRSSでネット徘徊してましたら、面白い記事に当たりました。
◎正しい女の子のほめ方
記事対象は男性管理職っぽい、という点を抜きにしても
なかなか納得がゆく内容でした。
で、それとは別に、「誉める」「誉められる」ということについて
以前から少々、思っていたことなど。
懐かしい、そしてちょっとアレな言葉ですが、
「豚もおだてりゃ木に登る」てのがありますよね。
私はそれってなかなか金言だと思いますし、
イマドキの子供には「誉めて育てろ」というのが原則なのだそうですが
肝心の「育てる側」(30代~40代くらいの世代)には
ちょっと難しい注文なのだろうな、と思うことがしばしばあります。
だって、育てる側の世代って、誉められて育てられた訳じゃないから。
むしろその頃の社会はまだ「やれて当たり前」だと見なす傾向が
大半だったでしょうから、そいういう視線に晒されて
鍛えられて来たひとたちが、今の親となり、教師となり、
指導者となって来たのだと思うのです。
先日、ある知人と話してた際、内容が家族のことになり
「うちの母親は、私が学年トップの成績を取ってきても絶対に誉めないひとだった」と知人が言うので、
「いや実はウチの親もその傾向が」と苦笑いしながら私も同意。
なんか私の知人って、そういう人が多いんですよね。
そしてどの知人も、そのほとんどが女性ですが、
頭がよくて聡明な「できる人」だったりしてます。
そして多分、親や周囲に「できて当たり前=できても別に誉められなかった」
人たちであるような気がします。
(ちなみに知人のご母堂がなぜ誉めなかったか、というと
「誉めるとこの子は増長する」と警戒していたのだとか)
だから(多少偏見が入りますが)
その親御さんも、高度経済成長期の日本、という背景も含めて「できる人」
もしくはうちの母親みたく、生活が決して楽ではなかったから
「やらざるを得なかったひと(そしてできてしまった人)」
なのだろうと思います。
で、「できる人」から見ると
(多分、そのお子さん等も含めて)
「(まだ)できない人」に対しての視線って結構厳しかったりするんです。
本人のレベルが「できて当たり前」のラインにあるので、
「できない人」は怠けてるとか甘えてるとか、
できないならできるようになるまで努力するべきだ、とか。
自分も以前はそのように考える人間でしたが、
これもある知人から、
「いや、【できる】ということも、【努力】というのも
ある種の才能の範疇のことで、世の中には、
ほんとうにできない人、努力する才能もないひと、というのも
存在してるんだよ」
と聞かされて、ちょっと目からウロコが落ちたと言いますか。
考えてみれば、世の中のシステムじたいが
「できる人」が自分や自分の周囲基準でつくり上げた、
「できる、ということが前提のシステム」な点が多々あって、
もちろん今時としては、、マイノリティの方々が
抗議や参画の声を上げいることもあり、以前ほど硬直してはいない…はずですが。
本音のところは、そうじゃないよね。
というのも、声を上げるひとも含めて
世の中の大半が、やはり「できるひと」でしょうから。
(声をあげられる、意見が言える、というのも十分「できる」範囲のことです)
でも。「できるひと」だっていつもできる訳じゃない。
失敗したり失業したり病気になったり、と当人を巡る状況はいろいろ変わります。
そういう時に、周囲や社会が相変わらず「できて当たり前」だと見なしてたり
本人も「私はできるはず」だと思いこんで無理とかしたら
間違いなくよい結果は生まれないと思うしな。
そういう「できて当たり前=できるのが普通=できても誉められない連鎖」
ってゆうのは案外と呪いのよーに(^^;)
続いてゆくものじゃないのかな。
よく俗説に、「愛されなければ、愛せない」とか言いますが、
その俗説が真だと仮定すると、
「誉められなければ、誉めることができない」という
連鎖にも繋がると思いますし。
(ウチの親なんか結構その典型ですのですごく真実味があります)
もちろん自分は、なんでもかんでも「誉めろ」といってるわけでもないし
(「なんでもかんでも誉めてー!」と言いたいわけでも…ちょっとはあるけど;)
できないひとならできないなりに、その人なりの「負荷」は
その人の成長において絶対に必要だと思っています。
(やっぱり、1しかできなかったものが2できるようになる、というのは
嬉しいことですしね)
けれど。「できる人」にちょっとだけ意識して欲しいんですよね。
できる人は、自分以外の他者に対しても「できるはずだ」と
無意識に期待してる、ということ。
そして他者が、期待に反してできなかったりした場合、
なぜか裏切られた気持ちになって
むやみに怒ったり落胆したりしてしまう…
言葉はとても悪いのですが、「その勝手さ」的な要素のことを。
そういうのって、他者は辛いし、自分も疲れるじゃないですか。
むしろ基本的には、誉めたり誉められたり、という連鎖の方が
楽しいと思うし、物事も人生も、楽しくなければ
発展もしないし続けられないのでは、と思ったりもするのです。
…なんか今日は説教臭いというか;
もしくは「できない逢坂」の言い訳めいた言動ですいませんです;
それにしても、上記の記事を読んで、
「誉められない」ということについては、女性よりも男性の方が
きつい現状にあるのかな?とも思います。
ヘテロの男同士って、何というか…コレは私の勝手な思いこみですが、
どうも生物学的(本能的?)に
「メスを巡る闘争相手」という立ち位置にあるので、
誉めたり誉められたり、という関係性からは本能的に遠い気がするんです。
(同性を倒してメスをゲットしないと自分の遺伝子が残せないわけですし)
だから、男性って、女性に誉められるより、同性に誉められて認められた方が
多分数倍、嬉しいものなんじゃないかな…と
いよいよ考えがまとまらなくなって来ましたので
本日のタワゴトはこの辺で。
ではでは、また(^^)/~~~
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この記事にコメントする
誤解だ~
母なので、一言言いたい。
成長した大人の精神年齢で、母の昔を語るのはすごく不公平。
今の精神年齢を100としたら、当然0で生まれた訳で、20のときも30のときの自分もあった筈で・・。
でね、20や30のときの自分が、どんな顔して親のこと見てたか知ってる人っていないんじゃないかな。
母として我が子見たとき、愕然としますよ~。
もうね。「おかあさんが好き!」・・これだけです。子供本人は条件付きで母が嫌いって思ってる。
わかってくれない。
うるさい。
わかってない。等々・・。
でも本質はバリバリに「おかあさんが好き!」目に態度に漂う無条件の愛。
母としてはこんな我が子に無責任に接するわけないですよ。無条件の愛に応えたいですよ。
そうするとね、無責任に褒められないんですよ。だって、成長率20、30%の子供の危うさってわかりますか。
褒められたら、舞い上がってしまいそうな単純さが全身から溢れてるんです。
うう・・。説明しにくい。
んでもね、将来自分の子と対面したときにわかってしまうと思う。我が子は褒められない。褒めても揺らがず成長できる、と確信できるほど子供ってしっかりしてない。
うう・・。大人になって母の不満を語る人。成長率20~50くらいの頃の自分に対面させてあげたい。
あ、でもだからといって、馬鹿だのブスだのけなして育てるのは言葉の暴力だから別問題。
ただ、褒めるのは難しいという話でした。
成長した大人の精神年齢で、母の昔を語るのはすごく不公平。
今の精神年齢を100としたら、当然0で生まれた訳で、20のときも30のときの自分もあった筈で・・。
でね、20や30のときの自分が、どんな顔して親のこと見てたか知ってる人っていないんじゃないかな。
母として我が子見たとき、愕然としますよ~。
もうね。「おかあさんが好き!」・・これだけです。子供本人は条件付きで母が嫌いって思ってる。
わかってくれない。
うるさい。
わかってない。等々・・。
でも本質はバリバリに「おかあさんが好き!」目に態度に漂う無条件の愛。
母としてはこんな我が子に無責任に接するわけないですよ。無条件の愛に応えたいですよ。
そうするとね、無責任に褒められないんですよ。だって、成長率20、30%の子供の危うさってわかりますか。
褒められたら、舞い上がってしまいそうな単純さが全身から溢れてるんです。
うう・・。説明しにくい。
んでもね、将来自分の子と対面したときにわかってしまうと思う。我が子は褒められない。褒めても揺らがず成長できる、と確信できるほど子供ってしっかりしてない。
うう・・。大人になって母の不満を語る人。成長率20~50くらいの頃の自分に対面させてあげたい。
あ、でもだからといって、馬鹿だのブスだのけなして育てるのは言葉の暴力だから別問題。
ただ、褒めるのは難しいという話でした。
うう~;
朱里さま:コメントありがとうございました。てかお母さん(本物)に叱られてるみたいだあ;いやお母さんごめんなさい;「親の心子知らずと」とはまさにこのことで…(>_<)
ただ二、三点、言い訳と言いますか;言葉が足りなかった点を補足させて頂きますと。
自分にしても記事に上げた知人にしても、「誉めてくれなかったお母さんが“嫌い”」とは全く思ってはいないのです。知人の母も私の母も、それなりの事情を負ってかなり貧しい環境下で結婚して子育てをした、という背景もありまして、自分も知人もそのことは(推測に過ぎないまでも)「お母さんは偉かった。好きだしとても恩恵している」と、それこそ体で感じ取ってはいるのです。
ただ。何と言いますか。大変失礼で申し訳ない限りですが、実際に今現在、子供を持っていない自分としては、子育ての大変さ(そしてお母様がたの悩みや戸惑い)は本当に想像しかできないのです。
そして、あくまでも想像上の仮定として、
【どういう風に子供を育てていったらいいか】【どう育てたら子供は社会に適応した一人前の大人になれるか】という点については(昨今、様々な情報は溢れているものの)基本的にはどなたも多分、「ガチの手探り状態」なのじゃないかと思うのです。
つまり「あまり、余裕がない状態」でのことになるので、ともすれば父親・母親側の最も本質的な部分が出やすいのではないかなあ、とつい考えてしまったのです。
でもその余裕のなさ、も含めて、「お母さんの懸命さ、懸命であるがゆえの不器用さ」もちゃんと子供は感じ取っているんじゃないか思うのですが違うでしょうか?
レスから伺いますに、朱里さま、というお母様の本質は、「非常に思慮深く、情愛も厚い」のではないかと私は強く感じました。その方が「誉められない」とおっしゃるのでしたらそれも子育ての真実の一面なのでしょうね…。
でも子供って、お母さんが大好き、だからこそ、大好きなお母さんの一言ひとことをものすごい強度で受け止めてしまうこともあるのですよ、と(^^;)
いつまでも大人になれない逢坂はそんな風にも思っています。この点はやはり、私が子育てに参加しない限り平行線かも知れませんですねえ…;;;
ただ二、三点、言い訳と言いますか;言葉が足りなかった点を補足させて頂きますと。
自分にしても記事に上げた知人にしても、「誉めてくれなかったお母さんが“嫌い”」とは全く思ってはいないのです。知人の母も私の母も、それなりの事情を負ってかなり貧しい環境下で結婚して子育てをした、という背景もありまして、自分も知人もそのことは(推測に過ぎないまでも)「お母さんは偉かった。好きだしとても恩恵している」と、それこそ体で感じ取ってはいるのです。
ただ。何と言いますか。大変失礼で申し訳ない限りですが、実際に今現在、子供を持っていない自分としては、子育ての大変さ(そしてお母様がたの悩みや戸惑い)は本当に想像しかできないのです。
そして、あくまでも想像上の仮定として、
【どういう風に子供を育てていったらいいか】【どう育てたら子供は社会に適応した一人前の大人になれるか】という点については(昨今、様々な情報は溢れているものの)基本的にはどなたも多分、「ガチの手探り状態」なのじゃないかと思うのです。
つまり「あまり、余裕がない状態」でのことになるので、ともすれば父親・母親側の最も本質的な部分が出やすいのではないかなあ、とつい考えてしまったのです。
でもその余裕のなさ、も含めて、「お母さんの懸命さ、懸命であるがゆえの不器用さ」もちゃんと子供は感じ取っているんじゃないか思うのですが違うでしょうか?
レスから伺いますに、朱里さま、というお母様の本質は、「非常に思慮深く、情愛も厚い」のではないかと私は強く感じました。その方が「誉められない」とおっしゃるのでしたらそれも子育ての真実の一面なのでしょうね…。
でも子供って、お母さんが大好き、だからこそ、大好きなお母さんの一言ひとことをものすごい強度で受け止めてしまうこともあるのですよ、と(^^;)
いつまでも大人になれない逢坂はそんな風にも思っています。この点はやはり、私が子育てに参加しない限り平行線かも知れませんですねえ…;;;
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BL・レディース誌でお仕事中。
最近はもう「何でも描きます屋」となりつつあるも、「何を書いても腐女子」スメル漂い中。
最近はもう「何でも描きます屋」となりつつあるも、「何を書いても腐女子」スメル漂い中。
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