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うっちー徒然
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こんばんは。逢坂です。
先回のエントリは気が付けば
だらだらとやたら長くなってますね;

あれはもう、悪癖炸裂(;´Д`)×というヤツで、
普段から四六時中
ああいう愚考を延々と繰り返してたりしてます。
愚考というか、
「ちょっとにひっかかる」ことに出会うと
無性にツッコミたくなるというか。

なので(?)
だらだらついでにもうひとダラ。

先日、ブログ巡回中に、
あるエントリに対して、
「その書き方はキツイ」的な
抗議のレスがついてまして、
そのブログの管理人さんの返しコメントの中に、


「本当に傷ついたひとは、公の場で(ネットなどで)
 【傷ついた】とは言わないものだ」



…と書かれておりまして。
んにゃ?と何かがひっかかりました。

そこのブログの管理者さまは、その理由を、
「その場でそういうことを言うと、
 不特定多数の悪意にさらされ、
 古傷をまた攻撃される怖れがある。

 傷ついた人はそのことをよく知っている。
 だから決して表明しない」と
言及なさっておられました。

わかるんだけど、
「ほんとうに」そうかな?
確かに、例えばレイプやDVD等で
心身共にひどく傷を負ってしまった人が
犯人を法的に(公的に)訴える際に
かなりの心的苦痛を負うであろうことは
想像に難くありませんが。

そこでの苦痛に耐えなければ、
犯人を罰することはできないわけですから
「傷つくからこそ(傷ついたからこそ)報復を」
という図式が成り立たないわけでも
ないのではないかと。

とは言え。上記のそれは
多分に私の詭弁ちっくなこじつけかも
知れないな、と(^▽^;)
しばらく考え…

わかった。
なにがひっかかっていたのかが。


「本当に傷ついたひと」の、
「本当に」という部分です。


傷ついた、ということに
本当の、とか偽の、とかあるのだろうか。
当事者の傷の深さ浅さ等を
他人が(勝手に)忖度して
「その程度のことで」的なニュアンスで
切り捨ててしまってもいいのだろうか。

(そのブログの筆者さんはそういう感じでした)


もちろん、生きてゆくということは
他者との関係、他者との抵触により
傷を回避できないものでもありますが。

(そのブログの筆者さんもそう仰ってました)


…が。だからと言って、
「当事者が傷ついている」ことが確かだとすると、
あなたのそれは「本当じゃない」と言われたって
救いにはならないですよね;
だってホントに痛いんだもん!

もしくは。
「みんな痛みに耐えている。お前も耐えろ」と
言われたって、傷の痛みは消えないし、
痛みにうめいているところに、例えば
「大人なら耐えて当然」と言われたら
痛いうえに劣等感まで負いそうで;


そのブログの管理者さんじたいは、
私の好きなタイプのかたなのですが、
たまーに、そういう「目線の高さ」を
感じてしまって
うんにゃ~;と考え込みます。


前回のエントリの主旨は
「カテゴライズに注意」でしたが、
今回は、自戒こめ込め
「言葉に注意」ということで。


さあ、仕事に戻らなくっちゃ…
ではでは、また来日(^-^)ノ
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逢坂みや
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職業:
マンガ描き
自己紹介:
BL・レディース誌でお仕事中。
最近はもう「何でも描きます屋」となりつつあるも、「何を書いても腐女子」スメル漂い中。
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