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うっちー徒然
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こんにちは、逢坂です。
ネームを描き直してばかりいまして;
またしばらくご無沙汰しておりましたが
ようやくINFOMページを更新し
コミックス情報を入れました。ふうぅ;

(「契」は全巻巻並べたかったのですが
 フォームの関係で下げとなり;ボン、ごめんねっ(;´Д`)

…で。「契」が全巻出そろった、ということもあり?
ここしばらく考えているコトなど
独り言を漏らしてみます。

いきなりですが、やっぱりさー;
せっくすと暴力って、「同質的」というか、
とても近い関係にあるのではないかしら。

先日、友人と電話であれこれと
人間の内面について検証?などしまして、
「やっぱりさー、暴力って、快楽だよね」と
とても大声では言えない;結論を出してしまいました。

もちろん、今日の常識や、
もしくは古来からの戒律的な教義上でも、
「暴力反対」「暴力禁止」とされてはいます。
ですがそれは、宗教性とか
倫理面や人道上での意識、というよりは
「共同体の維持」=「生活面での安全の確保」
のためというのが
主な理由なのではないのかと思います。

そういうものを取っ払ってしまえば、
暴力ってのは、「純粋な快楽」となるでしょうし、
そういう縛り(禁忌性)があるからこそ、
「秘めた快楽」として
現在も存在しているのではないかしら。

そういう風に考えを進めてみると、
せっくすに似てるでしょ(^▽^;)
だから人類は、(これも)古来から
性的なことに関しても
さまざまな縛りを与えて来てもいるし、
常に「格下のこと」「卑しむこと」と
意識されて来たのじゃないかしら。

(最も、ギリシャやもっと古代には
 娼婦=聖職、でもあったそうで。
 多分それは、性的なことを宗教上の教義で
 変質させていたためか、
 もしくは単なる方便(言い訳)か(^▽^;)

にしても、どうして
せっくすと暴力は同質的であるのだろう…
自分の、思いつきっぽい仮定としては、
例えば、昆虫や動物のオス同志は、
生殖のためのメス争奪戦で
命の限りに戦ったりして、
勝った方が、メスにタネを
植えることができるわけで。

そういう過程が、
「生物の、本能的な処」に
刷り込まれているから
せっくす=暴力(暴力→せっくす)
となるのではないのかな。

(だとすると、セクシュアリティの面で
 多分、オスの方がメスよりも
 暴力に対して親和性が高い理由が
 明らかになったりします。
 もちろん、闘争に勝ったとしても
 肝心のメスに降られる;ということも
 種族によってはあるでしょうが(^▽^;)

で、せっくすと暴力が同質だったとして
「だから何?」と突っ込まれそうな
タワゴトですが、
そこから色々、当てはめられることや
思いつくこともあったりして
なかなか楽しい思考実験が続けられます。


もっとも。自分自身は、実際には
それこそ、倫理的な立場から
暴力を、快楽ではなく、
「恥ずべき行為」として捕らえてますので
自ら成すことはほとんどないし、
振るわれるのもまっぴらご免でございます。

(だから、せっくすに対しても
 抵抗値がすごく高かったりもしています;)

けれど。そんな私の意識下では
やはり暴力を快楽と捕らえもいるでしょうし、
意識面での抵抗がとても強いために、
反転(反動)作用として?
あのよーな「痛い話」をついつい
描いてしまうのかなぁ(^▽^;)と思ったり。

だから。
時折、世間様を騒がせる
凶悪犯罪の犯人や子供が、
ふだんは知人やご近所さまから
「めだたない、大人しい」と
捕らえられている場合ば少なくないのは
ある意味、当然のことかも
知れないですね。


ではでは、また来日(^-^)ノ~
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逢坂みや
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職業:
マンガ描き
自己紹介:
BL・レディース誌でお仕事中。
最近はもう「何でも描きます屋」となりつつあるも、「何を書いても腐女子」スメル漂い中。
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