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うっちー徒然
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さて大韓民国はソウルから、24時間ほど前に
帰還いたしました逢坂です。
戻った昨日はさすがにくたくただったので
問答無用で寝くたれまして一夜明けて、
まだ少々「くた」の状態ではありますが
ともかく戻りました、のご報告です。

初めて訪れましたソウルの印象は…なんてゆうか、まるで
池袋+新橋+ほんのちょっと丸の内、と言った感じの街でした。
違う所と言えば、少なくとも表通りには
(日本の繁華街によくあるよーな)
風俗店の看板や呼び込みが皆無だったことと、
道のあちこちに露店がひしめいていたこと、くらいでしょうか。

それ以外は、もうまるっきり、驚くほど日本の街です。
ですので、外国に旅行に来た、という感慨も薄く、
それでも徘徊ヘキのある自分は、
時間と体力の許す限り、徒歩であちこち歩き回りました。

(なので。「足腰を鍛えるためについてゆく」と
 言っていた健気な母は、3日目にはダウンしていました。
 母の誕生日旅行なのに…気の毒なコトをしました;)

おいおいまた、旅先でぶつかったコトなどを
UPしてゆくと思いますが、
現在はわたくし;旅先にまでネームを持っていって
ホテルで夜なべ仕事をしてた…というくらい
いっぱいいっぱいの状態でもありますので;
本日はまあ、短めの内容にて失礼します。


ではでは、また(^^)/
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大して寝不足もしてないはずなのに、今日は終日
ねむくてねむくてたまらなかった逢坂です。
多分、起き抜けに、立て続けにセキとくしゃみをしたものですから
「風邪かなあ?」と思い呑んだ薬のせい、でしょう。
にしても確か、非ピリン系の薬だったはずなのに
なして眠気が続くのか。
これも秋が近づいて来た証拠でしょうか。

ところで。先日、ご近所のコンビニにコピーに
行きましたら、コピー機の真向かいに、なにかのイベントの
ポスターが貼ってありました。
内容は忘れたんですが、一面に華麗な花束のスチールが
あしらってあるポスター、だったんです。

で、自分はその頃、イラストのお仕事で
花を描かなきゃならない時で、
しかし私は、花が苦手なこともあって
描くのがものすごくおっくうだったんです。
なのでポスターをぼーっと眺めつつ、
(いいよなあ、写真て…誰でもカンタンに撮れるモノだし)と
写真家の方にはとてもお聞かせできないような;
ド失礼なことを思ってしまったのです。

で、ド失礼発言のフォローと言う訳ではなく、
ここからが本日の戯言のキモとなります。

実感から言いますと、絵はある程度、描けるようになるには
それなりの訓練が要ります。
少なくとも絵描きでゴハンを食べていくつもりなら
なかなかハンパじゃない技術の習得が必要かと思うのです。
それに対して、写真てのは、ぶっちゃけてちょっと高性能のカメラさえあれば
誰でもそこそこのモノが撮れてしまう、
そういう「手近な」媒体なのではないかと思うのです。

ですけれども。
いわゆるプロカメラマンと呼ばれている方々は、
「誰でもできてしまう・写せてしまう」写真撮影において、
他者との差別化をはかり、他者に抜きんでて、認められて
ちゃんと写真でゴハンを食べていられる、
そういう方々なのでしょう。

世に名だたるカメラマン様がたが、
(名だたらなくても、プロカメラマンの職で生活してる方々は)
そこに至るまでに、どれだけの修練を積み、
センスを磨いてこられたのでしょうか…。
繰り返しますけど、写真そのものは「だれにでも撮れる」媒体です。
してみれば、そこから抜けだし、頭角を現すだけの
とてつもない苦労が伴ったのではないでしょうか…。

それはきっと、スゴイことだと思うし、
スゴイ方々の凄いワザや蓄積は、是非とも見習うべきでしょう。
これからは雑誌や街頭のスチール一枚も、
疎かに見られないなあ、
そこから技術やセンスを最大限盗ませて頂かなきゃな!

もちろん、そういうことは、写真媒体に限ったことでは
ありませんよね。
ああだこうだ考え出すと、自分以外の他人様すべてが
凄い人に思えてきてしまいます。
実際、身辺にもスゴイ人たちが沢山いて下さるし。


ありがたいっすね。
ありがとうございます。

ではでは、また来日(^^)/~~~


毎日下らないことを考えながら
お仕事してます。逢坂です。
ところで本日、隣家にご不幸がありまして
急遽、町内会の一員として駆り出されることとなりました。

で、隣家の故人様、ご宗主享年99.5歳のお爺さま
(ところでこのご享年を聞くと、町内会の皆様が皆様
「惜しい!」と漏らされたのが不謹慎にもおかしかったです。
それは私も惜しかったと思います。
三桁の年齢までリーチかけてたのに…)
…で、そうそう、そのお爺さまは、
故人さまを知る方々にお聞きしますと、
たいそう、「頭の良いかた」だったそうな。

職業は、大工さん。しかも棟梁さまとして
長年、地域の職人さんらを従えて来たのだそうです。
しかし、生まれた頃が大正、とあって、今で言うところの
学歴もほとんどなかったそうな。
それでも、とても頭がいい。
複雑な家屋の図面もちゃきちゃき引いちゃうし、
職人さんらへの手配も配慮も水際だった手腕であったとか。

思うに、やっぱり、頭の善し悪しって、知識だけに
負うものではないようですね。
多分、故人さまは洞察力があった…「カンがいい」てヤツですね。
それになにより、集中力に優れていたもとの思われます。

逆に言えば。カンが鈍くて集中力に欠ける
(例えばわたし;)のような人間は、
仮にすごい学歴があり、いくら知識があったとしても
「頭がいい」と仰がれることはないのだろうな、と思ったりもしました。
それはそれで、さして仰がれたいとも思わないし、
自分の頭についての評価はまあ…
そりゃ多少は「バカ」と言われるよりも
「へえ」と思って貰える方が嬉しいは嬉しいのですが。

まあ、そんなことよりも。
「わからない」ことが「わかる」ようになるのは
問答無用で快感ですし、
あたまのいいひと、には、やはり憧れちゃいますので
決して頭がよくない割には、案外自分は、勉強が好きです。
あとはこれに洞察力と集中力が加われば
今より少し、マシな自分になれるかと思うのだけどな。

ちまたの自己啓発本には、「集中力の鍛え方」的な
トレーニングはいくつか散見しますけど。
洞察力の育成には…うーん、やはり経験値と
「事象・具象への意識度」がモノを言いそうな気がします。

あたまがよくなりたいなあ、というより。
もっといろいろなことを「わかって、楽しめる」ように
なりたいなあ!と思いつつ。

そろそろお通夜の準備が始まる頃ですので
着慣れないワンピ(喪服)を着込んで行って来ます。
リーチ目前で他界なさった故人様のご冥福を祈りつつ。
故人様の顰みに習えるように己に期待しつつ。


ではでは、また来日(_ _)/~~~
こんばんは。逢坂です。
ところで。自分はまだそんな局面でもないのですが。


辛い状況に追い込まれたときには。


心が折れてしまわないように、
その事態を面白がってしまうのが
よいのではないかと思う今日この頃です。
かつて、久しぶりに旧知の友人に連絡を取りましたら
友の近況は、傍目から見ればかなり悲惨に感じられましたが
渦中にいる友人は、ユーモアを交えたメールを返してくれて
その時、この友人には一生適わないだろうな、と
痛感した自分でした。

実際に、ごく普通に人生を送っていたとしても
「もう笑うしかない」という悲惨な状況に陥ることは
少なからずあるかと思います。
そんな時でも、たとえそれが苦笑いであっても
笑顔は人の救いになるような気がします。


少なくとも、自分の場合はそうだったなあ、と。
つまんない体験談でごめんなさい。


ではでは、また来日(^^)/
ある忙しい日の昼下がり、
仕事場に詰めっきりだった自分は、
散歩がてら、近所のスーパーに買い物に行きました。
買い物と言っても、その数日か前、
別のスーパーの特売日に必要なものは買っておいてあったので
ご近所スーパーに出かけたのは、
全くの気分転換、でした。

スミノフ(ウォッカベースのカクテル・製品)が
安売りになってたので、二本ほど買い物かごに入れて。
巻きずしの割り引きになってたので、
夕食(か夜食)にしよう、とこれも入れて。
あとは…要りようなものはないけど…
あ、焼き鳥缶が安くなってる。
急場に供えて、これも買っておこうかなっと。

で、レジに向かう途中、自分が下げた
カゴの中を見てみたら。

酒と、つまみと、
一杯やった後の軽食、と。
まるでこれから(昼間から)飲んだくれるための
買い物にしか思えないチョイスでした。

なにかもう。
人として、ものすごくダメなんじゃないだろうか、と
うなだれながら買い物袋を下げて家に戻りました。
もちろん夜には、案の定、
その日の仕事を何とか終えた寝しな(朝方)に、
焼き鳥とスミノフで飲んだくれてしまった
ダメダメな自分がいました。

まあ、たまにはそんな日が
あってもいいよね;と。
苦笑いで自分をごまかしつつ
(たま、じゃねーだろとツッコミつつ)
布団に入った次第です。



つまんない話でごめんなさい。
ではでは、また来日(^^)/



ごぶさたでございます。逢坂です。
ここ二、三日で急に涼しくなりましたね。
とりあえず長く苦しい八月は過ぎ去ったようで、
九月はさて…ひょっとして;夏よりキツイお団子スケジュールが
ニコニコしながら待ちかまえている昨今でございます;

九月半ばに、韓流漬けの母の、
誕生日プレゼントということで
親子で韓国旅行に行ってくるせいもあり、
前後の調整がもうタイヘン;
それでもせっかくの旅行ですから、のびのびと楽しんで来るべく、
明日からまた汲々と、お仕事の日々が始まるのです…。

ところで。9月9日って、何の日かご存じですか?
最近、知人が教えてくれたのですが
なんと「男色の日」(!)なのだそうです。
それを耳にし、反射的に
「6月9日なら分かるけどー」ととっさにコメントしてしまった
下品な自分はさておきまして。

9月9日は、いわゆる重陽、菊の節句なのですね。
(て、自分、そんなマンガ描いたやん(^^;)
で、菊の節句と言えば、「雨月物語」に収められた
アノ名作が偲ばれる…てんで、だんしょくのひ、なのだそうです。

『でも。「女色の日」がないのはちょっとアレ_ですよね』と
知人は続けておっしゃいまして、
にょしょくのひ、いわゆるレズビアンの日となると
うーむ…それこそ6月9日、とか?
(いや、アラビア文字の印象からなんとなく)

「女色の日」
あっても不思議じゃないんだよなあ。
てゆうか、男女同権を基本とすれば、
「なくてはならない日」でもありますよね。
いつがふさわしいのかなあ…という余談はさておいて。

今日、サイトのIInforページに、
お仕事情報とイベント情報を更新しておきましたが、
また当分、NET落ちせざるを得ない日々が続きそうです。

振り返れば。それもきっと良き日々となるのでありましょうが。
渦中ともなると泣き言ばかりを並べてしまいそうです。

ともあれ、頑張ります。
10月発売のコミックスもどうぞよろしく<(_ _)>


ではでは、また来日(^^)/~~~
忙中閑有。ネーム返答待ちで身もだえてます逢坂です。
で、そんな折りですから、本日のエントリは全くの愚考もどきです。

わたくし、馬齢ばかり重ねまして、でもオツムはいまだに
お子さま脳なこともあり、三歳児あたりがよくやる
「なぜ」とう疑問を、日常のかなりのシーンで
抱きがちだったりしています。
例えば、ある特定の事項について、物理的なものとしては
「なぜ、東から太陽がのぼるのか」
いやそれは地学で確か、惑星の配列上そうなってる、という答えが出ていて、
「ではなぜ、そういう配列になっているのか」とか
すぐに突き当たりで迷ってしまう疑問だとか。

あるいは、心理的なものとして
「なぜ、あの人は●●に興味があるのに。私はまったく無関心なのか」
とかもう…

「そこに理由はないんだよ!
 ただ『そういう風になってる』だけなんだよう」と
くどすぎる質問責めにあってキレたお父さんのよーな
落としどころしかなかったりするんでしゅよね;
んなことはとうに承知の承知、なのですが、
「ただ受け入れるしかない世界の仕組みや人のなりたち」を
論理的、とまではいかなくても
因果関係として解明してみたい、という
わけのわからない好奇心とか、欲望とかに
突き動かされることがしばしばです。

これが宗教だったら、「それは神が(神々が)そのように作った」という
「物語」に始まり、
「じゃあなぜ、そのように作ったの?」というツッコミに関しては
ありとあらゆる「神の意図についての物語」が発生したりします。
(北欧神話やギリシャ神話なんかその典型例ですかね)

結局のところ、物語だとか仮説だとか解釈だとか
そこからハズれたトンデモ類(妄想・珍説・奇説等)も含めた、
全ての「思考」的な営みが、
わけのわからない有象無象のものに対して
「整合性(意味や理由)」を求めたい人間の欲求と
「それは美しい、もしくは面白い」ものであってほしい、という
美意識とか興奮とか、そういうニーズが存在してるのかと思います。

だから。「なぜ」の種類と頻度において
無数の「物語」(科学的語彙から言うと「仮説」)が
生じるということになり、
その物語発生において、創造性とバリエーションが駆使されることにより、
「面白い物語」によって、
「面白い世界」「面白い社会」「面白い日常」という風に
正体不明の有象無象らが、彩られてゆくのだと思います。

で、上記の「面白い」というイメージを最優先する語句をチョイスすると、
「ファンタジー」という言葉でくくってしまえるのかと思います。
(あ、ジョン・レノンは「イマジン」という言葉を使ったか)
まあ、「ファンタジー」という言葉は、一般的には
ドラゴンとか剣とか魔法とかが出てくる神話ワールド、
あるいはBL的な「ありえないドラマ」ワールドを指すかと思いますが、
実のところ、ありふれた日常に、実に実にありふれている
「なぜ」が行き着く「突き当たり」の数だけ
ファンタジーは生じます。
日常は、ファンタジーに彩られている。
(法律や倫理や決まりや法則など、一見ガチガチのカテゴリーに
 入るものであっても、一歩突っ込めばやはりそれは
 美意識や有用性を伴った「ファンタジー」であると言えるかと)
そして、言葉のイメージだけでなら、
「妄想」とどっこいでしかない「ファンタジー」のくせに、
日常や意識に刷り込まて蓄積された「ファンタジー」には
むやみな強制力がある、という点も見逃せないかと思います。
(その場合は、「思いこみ」という言葉でも表現できるかな)
強制力はあるけれど、確実な根拠はない。
( 例として、「なぜ人を殺してはいけないの」という問いに対して
 誰もが納得する明確な答えがない、のと同じ理屈、ですか)


…だからなにが言いたいのか、というと。
上記の文章は、わたくし的には
実はなんの意図も目的もなく、
考えなしに書いている文章だったりしますので^^;
なにが言いたい(どう結論づけるか)は
皆様の結論づけたい方向に持っていっていければ、と
無責任にしめくくらせて頂きます。

(にしてもその結論にしても、多分、上記で使った
 さまざまな「言葉」のイメージに左右されるのでしょうから
 言葉って便利なようで不便だなあ、と嘆息を禁じ得ません。
 人の気持ちをどう動かすか、人の傾向をどう決定づけるか、
 すべては「表現(上のテクニック)問題」だということです)

…にしてもこのエントリ、すごく人を選ぶかもしれません。
まあ、残暑でうだったカボチャ頭のファンタジーということで
聞き流してやって下さいませ。

さて。ネームについて、担当様に電話してみるか!


ではでは、また来日(^^)/~~~
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